さて、うららのような無力感を抱く少女が現れるのは何故だろうか。その1つの原因は「縁側が失われた」ことにあると思う。従来であれば、縁側はその住民と近所の人が何気ない会話を交わす、コミュニティにおけるノードの役割を担っていた。ところが、高度経済成長における団地の開発や核家族の増加・都市部への人口集中などの様々な要因によって、縁側は失われていった。その結果、コミュニティから人がどんどん切り離された。そして、人は限られたコミュニティの中で存在意義を見出すことは不可能になり、人類全体の中でアイデンティティを形成する必要性に迫られているのだと考える。筆者はその点を「縁側」という題に込めたのではないだろうか。